今夜これから大嵐になるそうで。
ときどき思い出したかのように雷鳴がとどろいていて、いま雨が降り始めた・・・
バブル崩壊前夜、今は亡きサブカル雑誌「Studio Voice」のある号に「バンド・デシネ特集」があった。
当時、大学の友人にちょっと「アート」っぽいものを教えてもらいはじめて、はじめての一人暮らしになんとなく大人な感じを感じた何冊か借りた内の一冊だった。
たしか桃色の表紙だったような気がする。東急ハンズの書店にバックナンバーが置いてあったのだがそこでは売り切れで、住んでいたマンションのゴミ置き場で拾ったのだった。
池袋のまんだらけは洋書コミックが充実していて、そこで何冊か「メビウス」の未邦訳のシリーズと、「エンキ・ビラル」(←アンキ)の「ニコポル・シリーズ」の2冊目の英語版を手に入れた。「メビウス」は邦訳版が出ると言われて、新刊予定にもあったが、結局出版されなかった。
そんなこんなで神田の大きめの本屋さんや紀伊国屋やらの洋書コーナーでも見つからなかったかなり気になる一冊が、「シュイッテン」の「塔」シリーズであった。
それから何年もして、「DOS-V」「インターネット」の普及を経て、フランス人たちとも話す機会があっもまだ、「メビウス」や「ビラル」はともかく、「シュイッテン」は謎のままであった。
むしろ「ベルサイユの薔薇」とか「シティーハンター」とかの「マンガ」や「ビジュアル系」バンドが欧州、特に「フランス」や「イタリア」でサブカル的人気があると言うことだけはよおく分かった。
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誰に例えればいいのか分からないが、最近リマスター再発盤が出ている「浅川マキ」みたいなもんだろうか。
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それからしばらくして、ビラルの「ニコポル3部作」が翻訳されようやく内容が分かった。自分の英語力のなさと、理解する気力のなさに愕然とするとともに、やっぱ意味がよく分からん部分もある。特に空中卵のあたり…
ビラルの翻訳は「モンスターの眠り」の中断のまま、数年途絶えてしまう。思えば、ニコポルの出版も、映画化された「GODDIVA」とかの流れだったのかも知れない。
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思い返せば世紀末学生時代は、アニメや漫画だけでなくちょっと洋画や洋楽とかも好きな友人と、「ヘビーメタル」のメビウスはイマイチだよとか教えてもらいながら、やっぱ首都圏で育ったお兄さんたちは情報量が違うなあ。
とかなんとなく頭の片隅でちょっとうらやましがってみたりしながら、明け方BC級SF映画をレンタルビデオ屋でバイトしてた友人にこっそり貸してもらったり、ヒーター点けても凍えるような冬の友人の部屋でアニメ漬けになってみたり、テレビ東京が毎昼やってたマイナーな洋画群を見たり、結局まったく見る気にならなかったが、ロッキンオン渋谷陽一まで対談した紫色のウルトラマンロボアニメをS-VHSに録ったりしたものだったが・・・。
もうレンタルはおろか、見るのも面倒くさい。
学生時代コンプする勢いでむさぼり読みまくった「P・K・ディック」も、積ん読するようになってしまった。ほとんど重要作が翻訳されてしまったせいでもあるけれど。
そう・・・、もうどうでもよくなりつつあったのだけれども、2011年12月一冊の分厚い本が出版されたタイトルは「闇の国々」作ブノワ・ペータース+画フランソワ・スクインテン。「風の谷のナウシカ」のムシアブだかなんだかみたいな巨大な蟲たちと可憐な少女の表紙である。
この題名と作者名では、情熱を失っていた私はあっさりスルー。
・・・でもなかった。絵のタッチでピンと来た。すぐアマゾンでぽちっとした。最近は本屋に行くのすら億劫になった。
あの「シュイッテン」。しかも、あの「塔」も入ってる。
:狂騒のユルビカンド (都市設計技師の部屋に突如出現した物体が巨大化してゆく話)
:塔 (伸び続ける塔の下層区の管理人が上層部へ登ってみる話)
:傾いた少女 (一人だけ違う重力にひっぱられて傾いちゃった女の子の冒険)
もちろん、2部目から読んだ。なんとかチャンとか言う中国系アメリカ人の短編小説集「あなたの人生の物語」の「バベルの塔」の話のオチとちょっと似たようなものを感じる。
いわゆる「バベルの塔をどんどん登っていったらどうなるのか?」と言うヤツである。今や1km級の超々々々々々々高層ビルを建築中の中東諸国もあるのだから、並みの奇想じゃ楽しめないけれども、両方ともなかなか面白い。
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ちなみに、「チャン」の短編の中での最高傑作が「理解」。
薬物強化を受け凄まじい速度で超人的進化を遂げてゆく主人公が、自分よりも以前に強化薬投与を始められていたプロトタイプとの決闘に臨むと言う、少年ジャンプ版「アルジャーノンに花束を」みたいな内容。 ここ数年で読んだ短編SFで断然面白かった。
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「闇の国々」収録の他の2短編も緻密な画力にものを言わせた美術BDなのだが、「魅力的な蛮人娘を文明開化させる現代人」の主人公たちに、 良くも悪くも古典SF魂を感じた。
「ロバート・シェクリィ」や「イアン・ワトスン」、「ジョージ・R・R・マーティン」と言ったアイデア重視のSF作家タイプの一編か、なんとなく「J・G・バラード」の「スチームパンク」、もしくは東欧スラブ系幻想小説風っぽいような頭でっかちな感じ気もしないでもない。しかしこれは、絵描きのせいではないけれども。
感慨深くはあるものの、数枚の絵から頭の中で想像していたもの(もっと古代または中世)とは異なり、読み終えるのが惜しいと思うほどでもなかった。
名前の読みの変更の経緯は知らないが、封入されていた刊行予定のチラシでは「スクイテン」でなかった所をみると、意図的に修正されたと思われる。おそらく、ドイツ語よりフラマン語に近い発音にしたのかも。
「シュイッテンは出ないなあ~」と記憶の片隅でぼんやり思っている人がまだどれだけ残っているのか分からないけれど、彼違う名前で出てますよ。
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